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農家れすとらん「なごみ庵」


by nagomian1224

馬そり事件

 平成23年3月11日、東日本を巨大な地震が襲いました。不況とはいえ平和だった日本が、まるで戦争で被災したように、一挙に地獄のような様相に変わってしまいました。

 私たちの住む山形県は、幸いにも燃料不足の影響を除いては、ライフラインもほぼ平常に戻っています。ここでできることは、同じ日本人として節約生活等心がけ、被災者の支援を行うということだと思います。
 ともに頑張りましょう!


 さて、この東日本大震災の経験を経て、もう一度自分たちの生活を見直してみようと考えた方が多いと思われますが、ここで、昭和30年代のちゑさんのお話を、また紹介したいと思います。ガソリンや灯油などの燃料に頼らず、いろりに薪をくべ暖をとったり、家畜の力を動力としたりする生活がどのようなものだったのか、想像してみてください。


 何かと忙しい筆者は、子どもの頃の思い出話もなかなか書けないので、タイトルを少々変更させていただきます。

思い出ポロンポロン第3話

 茅ぶき屋根の玄関を入ると広い土間があり、入口に近い所に馬屋があった。学校から帰ると、ませ棒の上から首を出して迎えてくれた。
 夏には、夕方になるとよく父が馬を沢に連れて行き洗っていた。アブやコシジロがしつこく馬の周りを飛び回るので、馬は長いシッポを左右に振り追い払う。時には後足をいきなり上げたりと、子どもだった自分には、馬が大き過ぎておっかない(怖い)がったけれど付いていったものだ。

 当時馬は家族の一員だった。まだ今のような農器具のない時代だったから馬は役畜として荷車やそりを引いたり田畑のバコかけ(馬耕、土を返す作業)などと大切な働き手であった。
 馬好きの父は、軍馬を鍛えるために使っていたという大きな歯車を蔵王の方で見つけて来て、稲の脱穀作業に使っていた。その歯車に横長の丸太がついていて、目かくしした馬が引いて歩くその力を利用して父母が作業をしていた。
 道行く人が足を止めて物珍し気に眺めていた。
 学校が休みの日は歯車に乗って大きな声で「ホォラホォラ」、馬を休ませないよう手伝いもやった。

 馬との思い出の中で忘れられない話がある。
 それは春休みか日曜日のことだったと思う。町の病院に入院していた祖母に会うために私と妹と弟は、父の引く馬そりに乗って出かけた。
 稲わらを大きく束ねてそりにくくり付けられた座席。それに腰掛けて、普段目にすることのない町の風景にキョロキョロしていた。
 帰り道のことだ。小路から大通りに差しかかる丁度角の所で事件が起きた。それは田舎の馬が始めて耳にした音だったかもしれない。トタン屋根から小さななで(屋根に積もった雪)がこけた。同時に馬が飛び上がり  店先に止めてあった自転車を倒して足に引っかけ引きずりながら暴走したのだ。
 私と妹は途中で振り落とされ、馬そりの後を走って追いかけた。「ドォドォドォ」馬にぶらさがるようにしてやっとのことで止めた父。その顔からは血の気がなくなっていた。弟は稲わらの座席にしがみついていた。
 数分の出来事だったが、余りにもたまげて(びっくりして)しまって、この場面だけが強く刻まれていて祖母と会った時のこと、また帰り道のことなど全く記憶に残っていない。
 今になってみると懐かしい思い出でもある。馬屋の臭いまでもが蘇ってくるような気がする。

 
馬そり事件_d0150627_1443836.jpg

                 南部曲り家 
 昔、こんな家の玄関を開けると馬や牛の顔が迎えてくれたものです。
 

 今年は、例年にない大雪で、まだまだ田畑の土は見えてきません。50年前は、これが普通のことだったのかもしれません。
by nagomian1224 | 2011-03-23 11:13 | 菅野ちゑ物語